大嘗祭は皇位継承に伴う重大な儀式。
だから当然、国家的な性格を持つ。
改めてその点にも言及しておく。制度的に確立した第1回の大嘗祭である持統天皇の大嘗祭に、
既に「公卿(まえつきみ)より以下主典(ふびと)に至るまで」、
つまり朝廷の上層部から末端までが、行事に携わっていた事実を
確認できる(日本書紀)。又、平城京跡の発掘調査によって、「朝堂院」跡から大嘗宮の遺構が
発見されている。
朝堂院は、大内裏(だいだいり、宮城〔きゅうじょう〕)にあって、
政務・儀式などが行われた中心的施設だ。
先のブログで「“内裏”の朝堂院」と書いたのはうっかりミス。
なので、この際、訂正しておく(他にも同種の誤記はあるかも)。儀式にとって、それが行われる「場所」も極めて重要な意味を持つ。
内裏(天皇の御所)で行われるなら、一先ず“内廷(ないてい、宮廷の内部)的”
な性格の行事と見る事ができる。
一方、大内裏の朝堂院なら紛れもなく「国家的」行事だ。
これに関連して思い出すのは、昭和から平成に移って間もない頃、
テレビ朝日の「朝まで生テレビ」に出演した時のやり取りだ。I氏が「大嘗祭なんて神秘的な秘儀なんだから、天皇の私的な行事として、
人知れず内々でやればよい」という趣旨の発言をされた。
これに対し、私は「前近代の大嘗祭のスタンダードな形では“どこ”で
行われるべき事になっていたか、それを知った上でそんな発言をされて
いるのですか?」と問い詰めた。
彼は顔面蒼白になって答えに窮した。
「そんな事も知らないで無責任な発言をしないで下さい。朝堂院ですよ。
朝廷の最も中心的な施設で、極めて国家的な空間でした。
大嘗祭は元々、国家的な行事なんです」という意味の言葉で、
そのやり取りを締め括った記憶がある。上記の「スタンダードな形」というのは、貞観『儀式』『延喜式』
の規定を念頭に置いていた。
大嘗祭の「国家的」性格について看過すべきではない。【高森明勅公式サイト】
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